リリック・リリック・可視化し歌詞

発達障害の日常ライフ

生きる意味とは

 (メシを食う、寝る、起きる、擬似的な生殖活動をする)×繰り返し

 

 最近は、とにかく虚無的な気持ちになる。何のために生きているのか、わからなくなった。予備校とかにいた頃は、とりあえず受験という目標があったし、大学でも卒業のために単位を稼ぐと思えば目標になったし、就活の時も、とりあえず内定を貰えたらと思ったし、働いたわずかな期間では、生活を確立して女性をゲットして禁則事項するのが目標になっていた。

 

 今は、その目標とやらが、無い。ある意味、平穏な環境に落ち着いているということかもしれない。特に頑張っていなくても、生きること自体は肯定されることに気づいた。別に、どう働くかも人の自由だし、働かない生き方だって正当性はある。それを思うと、過度に無理をして予備校にいたことなどが、ばかばかしく思えてきた。どこの大学にいたとしても、自分は自分で変わらないし、特にアスペルガーの部分に関しては、一切、変わらない。

 

 社交性とか計画性が欠落していることを考えると、そもそも高校生のときくらいから、そのことを配慮した進学をしておいたほうが良かったのだろうか。でも、その正解も見当たらない。何をしていたら、正解の人生なのかという、かなり愚問な難問について考えている。

 

 最近は、なんでもかんでも、SNSでのウケを考えてしまう風潮というか、どこで何をやってもSNSに結びつけられてしまうせいで、純然たる引きこもりでいることも難しくなってきた、自分は、本を読めば、読書メーターとか各種レビューでネットに繋がってしまう可能性がある。すると、「自分の読解は世間的には未熟なのでは?」とか「自分のファン熱は低いのではないか」などと、余計なことを考えてしまうようになった。

 

 自分が本当に好きなことをしていないような感覚になる。SNSでこうなるから、こうしよう、というような打算が働いているのでは。というのは、SNSくらいしか、人とやりとりをする場面が無いからでもあるが。

 

 しかも、そのSNSでも対人関係が苦手であるから、余計な傷を日々、作り出している。やはり自分は少数派なんだ、やはり自分は頭がおかしい、本とCDばかり買っていてお金がぜんぜん無いオタクなんだ。しかも、オタクとしても偏差値は低いし、鬱気味だから、熱量も低いんだ。そういう自虐的な発想になっていく。

 

 どうしたら、よいのやら。完全なる自閉をしてみたい。でも、ネットに来たら、誰かわかってくれるのではないかという淡い期待をして、それでちょくちょくSNSを開いてしまう。ああ、嗚呼!どうしちまったんだ、漏れは。自分が楽しいことをしていたら良いではないか、どうしちまったんだ。

 

 自分の生き方が定まらない。どうなっていくんだろう、漏れは。